加古大池の歴史
加古大池は江戸時代前期、西暦1661年に新田開発の農業用ため池として建造されました。当時の記録より、工事に当たった人夫数は10,217人、日当として一人一日7合5勺の米が与えられたと伝えられています。こうして大池・北池・跡池・中池・五軒屋池および、全長2,500間にわたる水路が完成しました。当初水源は近隣の井戸に求めましたが、頻繁に水が足りなくなる為、1680年には加古大溝用水路を完成。草谷川を水源として下流の八カ郷へ非灌漑期に引水することになりました。昭和24年(1949年)には池の大改修工事が行われ、各ため池が統合されて現在の形となりました。そして、昭和63年〜平成12年度には防災ダム事業が行われ、1周3キロメートルの遊歩道・親水護岸・管理棟など水辺に親しめる施設が整備され、カヌー・ウインドサーフィン・ウォーキングなど多くの人々に利用されています。また、自然ゾーンの一画には水生植物園や野鳥観察施設も設置されています。現在の加古大池は満水面積49ヘクタール。これは甲子園球場が12個入る大きさです。兵庫県には22,047(令和4年12月現在)のため池がありますが、その中で加古大池は「県下No. 1の大きさ」を誇っています。
加古大池ドローン動画
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